生きるとは『食』
2017年 12月 04日
人は死ぬ。
なのに、なぜ人は生きるのか。
そんな事を思いながら人が燃えるのを見ていた。
今年3月、僕はネパールにいた。
人よりも神々のが多いと言われる首都カトマンズ。
あちこちに寺院や神像が建ち並ぶ。
そのひとつのパシュパティナート寺院。
ここは一般客にも遺体を火葬する様子を見る事ができる。
辺りは煙と埃。
そして臭い。
多分人が焼けた匂いなんだろう。
自分の体臭もなんだか臭い。
ネパールに来てカレーばかり食べているせいか。
なんだか手も黄色い。
それにしても嫌な臭いだ。
しばらくステーキは食べれない。
てか食べたくない。
目の前で人の肉が焼かれているのだから。
しかし、たくさんの見物客だ。
やはり興味があるんだろう。
否が応でも死について考えさせられる。
誰にでも平等に訪れる死について。
なぜ生きるのか。
死ぬ事は決まっているのに。
なぜ死ぬのか。
生きていたいのに。
わからない。
命の重さは同じなのに。
どれぐらいの時間がたったのだろう。
たくさんの見物客も僕だけになってしまった。
人は死んだら灰になるというけれど、
灰にするにはかなりの重労働だ。
弱くなった火に油や藁を焚べたり、
焼け焦げた背骨を押し込んだり。
なんだか焚き火に見えてきた。
『生きてる人』と『死んだ人』は何が違うのか。
誤解を恐れずにいうと、
死んだらただの物。
魂とはなにか。
わからない。
運命とはなにか。
しかし腹が減った。
今日は考えすぎたのかも。
イヤ、考える機会を作って頂いたのだから。
命について。
死について。
魂について。
しかしわからない。
なぜ生きるのか。
しかし腹が減った。
もう帰ろう。
イヤダメだ。
答えを知りたい。
教えて欲しい。
命とはなにかを刻まなければ。
イヤダメだ。
腹が減った。
やはり考えすぎたせいだ。
頭が回らない。
何か食べたい。
そうだ。
『地球の歩き方』に載っていたオススメのレストランに行こう。
タメルに美味しいステーキ屋さんがあったっけ。
by kariage84
| 2017-12-04 02:48
| 旅
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